こんにちは、ジェイドです。今日は、自分の考え事をおすそ分けします。…先に言いますが、有益な情報とか、多分一切ないです。
ここでの考え事っていうのは、何もしてない時に自分の脳内で繰り広げられている、机上の空論のうちのひとつの、回想の再構築(もっかい同じことについて考えたやつ)になります。
あと、考え事してる時の自分は、表側の自分、つまり、「ジェイド」とは別人みたいなものなので、多分違和感あります。ご了承下さい。
ついでに書きます。フォント変えました。
では、ジェイドの、特に為にならない考え事劇場の、はじまりはじまり~♪
…突然だけど、自分が死んだらどうなるんだろう。
死にたい。とか、生きたくない。とかって思ってる訳でもないけど、人は皆いつか死ぬんだよね。
その後は、どうなるんだろう。
ここで、仮説をふたつ立ててみようかな。
ひとつは、自分が死んだら、何かしらの形で、どこかしらの世界に輪廻転生する。
もうひとつは、マイクラのハードコアのゲームオーバー後みたく、すべてが消え去る。
じゃあ、ひとつめだったら、どうなるのかな。
自分が死んだ後は、記憶もすべて消え、魂だけが転生し、気付いたらまた新しい人生を歩んでいるのかな。
それか、漫画みたく、記憶とかを引き継いで、異世界にでも転生できるのかな。
それか…天国と地獄があるとか。
黄泉の国には、閻魔様がいて、鏡とかで行き先を決めるのかな。
天国って、楽しいのかな。地獄って、苦しいのかな。
もし、戻って来れた人がいたら、分かるんだけど、まだ誰も帰ってきてない。
そういえば、まふまふさんの「輪廻転生」の一節に、こんな歌詞があったな。
あの世ってやつは 居心地いいのか
誰もここへは 帰らないもんな
地獄はまだわかるけど、天国は戻ろうと思えば現世に戻れそう。
でも、天国って言うだけあって、そういう事なのかな。
じゃあ、この世での100年は、懲役期間か何かなのかな。
ちゃんと頑張れば釈放されて、ゆーとぴあに行けるけど、悪い事したりしたら、地獄っていう名の独房にでも移されるのかな。
確か、かぐや姫もそんなんだったね。
でも、牢屋にしては楽しい方だと思う。辛い事もあるけど、結局何かと楽しいじゃん。
まぁ、もし閻魔様がいるなら、出来れば天国に連れてって欲しいね。
だから、もうちょっと、いいことして生きようかな。
それじゃあ、偽善者かな。自分が天国に行きたいから、人助けをするなんて。
でも、この前友達が、「何もしない善者よりも、行動できる偽善者だ!」って言ってたな。
うん、その通りだね。それに、天国に絶対行けないって分かっても、いいことはすると思う。
それじゃあ、ふたつめだったら、どうなるのかな。
自分が生まれた瞬間にすべてが生成されて、自分が死んだらすべて消滅する。
それじゃまるで、自分が主役で、あとはみんなエキストラだって言ってるようなものだよね。
でも、そうじゃないって証拠はどこにもない。誰も帰ってきてないからね。
自分が死ぬ直前までなら想像は付くけど、その後は…いくら考えても真っ白。
こんなことを考える人は、多分他にはいないけど、こんなことを話されたら、ほとんどの人が共感できるんじゃないかな。
でも、結局の所は、何も分からないなぁ。
そもそも、自分が100歳になる頃には、不死身になる薬か、それに匹敵するくらいの医療技術があるのかもしれない。
それに、気付いたら死んじゃってて、いつの間にか地球の片隅で違う人生を謳歌してるのかもしれない。
死んでみないと分からないけど、死んじゃったら遺せない。
やっぱり、いくら考えても、分からないものは分からないなぁ。
とりあえず、どっかに転生しちゃうにしても、地獄に落ちるにしても、全部消えちゃうにしても、「いい人生だったな~」って思えれば、それでいっか。
…まだ20年も生きてないのに、こんなこと言ったら変か。
でも、いつ死ぬか分かんない。なんなら、今日中に死ぬかもしれないんだから、変じゃぁないね。
いつ死んでもいいように、悔いが残らないように意識…なんかしてたら、それこそ人生損しちゃいそう。
だから、もうとりあえず、楽しい毎日を過ごせるように、頑張ろうかな。
この前、こばじ(id:koba_ji)さんが、「幸せは自分で決めるもの」って言ってたっけ。
今、こうして生きていられるだけで、自分は幸せ。そう思って生きればいいって事かな。
幸せ。この前も、幸せがどーのこーのって記事書いたけど、結局、幸せは偶然見つかるものじゃないんだね。
四つ葉を見つけたって、興味なかったら、幸せな気持ちにはなれないよね。
幸せに生きてる人は、運がいいとか、神様に好かれてるとかじゃなくって、幸せの作り方がうまいんだろうね。
道端にありの行列があっただけでも、その人が幸せって思えば、幸せなんだろうね。
反対に、幸せじゃないって、恵まれてないって思ってる人は、幸せの基準が高いんだろうね。
別に自分は、そういう人がどうだとかは言わないけど、幸せはたくさん作った方が毎日が楽しくなるんじゃないかなって思う。
他人事のように聞こえるかもしれないけど、自分だって楽しい事ばっかりじゃないんだよ。
みんな、おんなじ。不平等でも、不平等なりに、みんなにやなことは起こるんだよ。
やなことが起きてないって思ってる人は、やなこともありがた~く受け取ってるからなんだよ。
やなことにやだって言っても、やなままだからね。
だから…なんて言おうとしたんだっけ。
まぁ、いいや。どっちにしろ、文字にでも起こしてなければ、とっくに全部忘れてたような事なんだし。
とかいってたら、思い出しちゃったよ。さっきの2文は、なんだったんだろうね。
で、幸せなことが無いって人は、自分が幸せだって思えることをすればいいんじゃないかな。
自分だったら、ゲームしたり、本読んだり。おしゃべりしたり、ポケモンを眺めたり。勿論、ブログを書いたり読んだりしてるときも、幸せだなぁ。
時間が取れないなら、数秒間だけ、机とかで「ぐで〰〰〰」ってやってみたら、案外幸せになれるかもね。
自分は、めっちゃ暇な時でも、たまに「ぐで〰〰〰」ってやってる。
なんにも考えずに、ただ力を抜いて、「ぐで〰〰〰」って。
声に出してみたりもすると、やってることがばかばかしくて、ついつい笑っちゃったりもする。
別に、「ぐで〰〰〰」じゃなくても、「むにょ〰〰〰」とか、「へにゃ〰〰〰」とかでもいいね。
いったん画面から目を離して、やってみて。
…ほら、なんか、不思議と明るい気分になったでしょ?
それだけで、十分だと思う。
その(ほわ〰〰〰)って気持ちも、幸せの仲間に入れてあげたら、ほら、幸せがいっこふえた!
それじゃあ、時間も遅いし、今日の考え事は…途中から趣旨は変わってたけど、この辺で終わりにしようかな。
次、いつこのシリーズやるか分からないし、そもそもシリーズ化するかもあやしいけど、またいつか機会があれば、考え事の世界の中への招待状をこのブログを読んでくれてる人たちに送ろうかな。
では、おやすみなさい。